喪男浪人中とは:受験に失敗した喪男の浪人ブログ。東京大学文科一類を目指す。(東大落ちました。現在は失敗の原因について書いています。)
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今日は東大の合格発表日でした。せっかくなので、帰る途中、東京見物してから帰ったので報告が遅くなりました。スイマセン。
単刀直入に言います。
東大に、落ちました。
発表のある本郷キャンパスには、少し遅めに入った。受験生でごった返しているのはあまり好きじゃないからだ。キャンパスから出てくる受験生の中には受かって嬉しそうな人、落ちて悲しそうな人の両方がいた。今日までは何とも思っていなかったが、今更ながら緊張してくる。
赤門からは入れないことになっていると事前に言われていたが、何故か赤門から入れた。
受験番号が書いてある掲示板を見つけた。一歩一歩近づいていくたびに、陳腐な表現だが、心臓がバクバクしてくる。
自分の目でも番号が判別できる距離にきた。掲示板を見るのが怖かった。その瞬間、東大合格という夢、というか、執着してきたモノが壊れてしまうのではないかと怖かった。
自分の番号がないことは簡単に分かった。受験をテーマにしたドラマなどでは、受験生が番号をどきどきしながら探し、なかなか見つからないように描かれることが多いが、これは単なる演出だ。実際はほぼ一瞬で自分の番号の有無は分かる。
落ちた。
結果を両親と高校時代の担任に報告した。キャンパスにいるのは辛かったからすぐに出た。
《以下、ネガティブモード》
4年間東大を目指し頑張ってきた自分の最後はこんなにもあっけなかった。
現役時は兎も角として浪人時は誰よりも勉強に打ち込めるチャンスがあった。時間も山ほどある。宅浪するに困らないくらいのお金ならある。
しかも0からのスタートではない。ソコソコ力はあった。頑張れば合格も可能だったかもしれない。だけど、頑張れなかった。
「受験に落ちたからといってそれで学んだことを生かせばいい。くよくよするな」とよくいう。俺の場合受験から学んだことはなんだったんだろうか。それは、自分は肝心な所で結果が出せないどころか、そのために努力すら出来ないことだった。自分がクズであるということだ。
「困難は人を大きくする」という言葉の類はその辺の格言集にいくらでも載っている。俺の場合はそうじゃなかった。かえって萎縮してしまった。トレーニングでも負荷をかけることが筋力などを強くする方法だ。しかし、その負荷があまりに強すぎると体を故障してしまう。使い物にならなくなってしまう。
「後悔しなかったんだったらいいじゃないか」という。今の俺には後悔しか出来ない。いくらでも後悔することはある。してもしきれない。だけどその後悔を勉強の情熱に変えることは出来ない。俺の後悔はぐうたらと寝ながら、「ああすりゃよかった」「こうすりゃよかった」とぼやくだけのエネルギーしか持っていない。
今の自分に出来ることはなんだろうか。
まずは自分の浪人生活の体験を書いていきたい。浪人生活でこんなに駄目になってしまうケースがあることを知って欲しい。
個人的には現実を受け入れられるように努力していきたい。今の俺のままでは駄目だ。このままでは一生「負け犬の遠吠え」をして生きていくだろう。だから現実を受け入れていく。強い人間に自分を変えていきたい。
《ネガティブモード終了》
落ちちまったんだから仕方がない。一旦、心をまっさらにしていこう。こんな言葉は誰からも言われたくないし自分でもいいたくはないが「大学で頑張ろう」
(追記)
大学生活でもブログを続けていこうと思います。そんでもって、新しいブログを開設しました。「喪男浪漫・大学生活日記」(こちら)というタイトルです。主に大学生活について書きます。3月中の日常的なことは新しいブログのほうに書き、このブログは受験についてかけることを書いていこます。受験ブログに比べては需要も少ないだろうけど、細々とやっていこうとおもいます。是非、新しいブログのほうもよろしくお願いします。
単刀直入に言います。
東大に、落ちました。
発表のある本郷キャンパスには、少し遅めに入った。受験生でごった返しているのはあまり好きじゃないからだ。キャンパスから出てくる受験生の中には受かって嬉しそうな人、落ちて悲しそうな人の両方がいた。今日までは何とも思っていなかったが、今更ながら緊張してくる。
赤門からは入れないことになっていると事前に言われていたが、何故か赤門から入れた。
受験番号が書いてある掲示板を見つけた。一歩一歩近づいていくたびに、陳腐な表現だが、心臓がバクバクしてくる。
自分の目でも番号が判別できる距離にきた。掲示板を見るのが怖かった。その瞬間、東大合格という夢、というか、執着してきたモノが壊れてしまうのではないかと怖かった。
自分の番号がないことは簡単に分かった。受験をテーマにしたドラマなどでは、受験生が番号をどきどきしながら探し、なかなか見つからないように描かれることが多いが、これは単なる演出だ。実際はほぼ一瞬で自分の番号の有無は分かる。
落ちた。
結果を両親と高校時代の担任に報告した。キャンパスにいるのは辛かったからすぐに出た。
《以下、ネガティブモード》
4年間東大を目指し頑張ってきた自分の最後はこんなにもあっけなかった。
現役時は兎も角として浪人時は誰よりも勉強に打ち込めるチャンスがあった。時間も山ほどある。宅浪するに困らないくらいのお金ならある。
しかも0からのスタートではない。ソコソコ力はあった。頑張れば合格も可能だったかもしれない。だけど、頑張れなかった。
「受験に落ちたからといってそれで学んだことを生かせばいい。くよくよするな」とよくいう。俺の場合受験から学んだことはなんだったんだろうか。それは、自分は肝心な所で結果が出せないどころか、そのために努力すら出来ないことだった。自分がクズであるということだ。
「困難は人を大きくする」という言葉の類はその辺の格言集にいくらでも載っている。俺の場合はそうじゃなかった。かえって萎縮してしまった。トレーニングでも負荷をかけることが筋力などを強くする方法だ。しかし、その負荷があまりに強すぎると体を故障してしまう。使い物にならなくなってしまう。
「後悔しなかったんだったらいいじゃないか」という。今の俺には後悔しか出来ない。いくらでも後悔することはある。してもしきれない。だけどその後悔を勉強の情熱に変えることは出来ない。俺の後悔はぐうたらと寝ながら、「ああすりゃよかった」「こうすりゃよかった」とぼやくだけのエネルギーしか持っていない。
今の自分に出来ることはなんだろうか。
まずは自分の浪人生活の体験を書いていきたい。浪人生活でこんなに駄目になってしまうケースがあることを知って欲しい。
個人的には現実を受け入れられるように努力していきたい。今の俺のままでは駄目だ。このままでは一生「負け犬の遠吠え」をして生きていくだろう。だから現実を受け入れていく。強い人間に自分を変えていきたい。
《ネガティブモード終了》
落ちちまったんだから仕方がない。一旦、心をまっさらにしていこう。こんな言葉は誰からも言われたくないし自分でもいいたくはないが「大学で頑張ろう」
(追記)
大学生活でもブログを続けていこうと思います。そんでもって、新しいブログを開設しました。「喪男浪漫・大学生活日記」(こちら)というタイトルです。主に大学生活について書きます。3月中の日常的なことは新しいブログのほうに書き、このブログは受験についてかけることを書いていこます。受験ブログに比べては需要も少ないだろうけど、細々とやっていこうとおもいます。是非、新しいブログのほうもよろしくお願いします。
今日、3月9日といえば卒業を思い浮かべる人も多いかもしれない。去年、俺の出た高校はこの日が卒業式だった。そして、卒業式の次の日が東大の合格発表の日、そして、一年間の浪人が決まった日だ。
卒業式といえば、全然いい思い出がなかった。
いや、まあ、どうせ喪だし、卒業式で誰かに告白されてホニャララということが無いのはとっくに分かっていたし、そんなことくらいではいちいちへこまない。(まあ、●さんと少しは話せたら嬉しいかなくらいは思っていた。●さんはクラスも違ったしそんなことはありえないだろうことは分かっていながら淡い期待を。)
当時、俺はクラスで孤立していたし、友達もいなかった。同じクラスで一番仲良かったのは担任の先生かもしれない。クラス全員で卒業アルバムに載せる記念写真を取ったが、俺だけみんなとは少しはなれたところでぽつーんと立っていた。かろうじて写真には写ったが・・・もちろんその写真は卒アルに載っているから俺の手元にある。今見返すと恥ずかしいし、惨めな気分になる。
その後は、みんなは個人個人で友達同士で話していたり写真を撮っていた。
俺は・・・友達も話す相手もいなかった。普段何とか日常会話くらいは成立するほどの知り合いなら、一応、クラスにもいたが、その人は自分の友達と話していて近づきにくい雰囲気だった。俺は居場所が無かった。みんなの笑い声、バカ騒ぎ、「卒業してもよろしくね」「また会おうね」「打ち上げどうする」と楽しそうだった。
こんな感じだから、誰とも話せずにつっ立っているのも惨めだ。俺は教室とクラスメートの笑い声に背を向けて、急いで、家に帰った。
家に帰る途中で実感した。
「俺は高校の3年間で何を得たのだろう。結局は勉強だけは散々やって、なにも残らなかったじゃないか。友達もいない。一人で終わってしまったのか。」
高校生活の3年間を激しく無駄にしてしまったということに、やっと実感した。がり勉キモメン喪男の3年間は惨めだった。
次の日、東大に落ちた。やはり3年間は無駄だった。
卒業式といえば、全然いい思い出がなかった。
いや、まあ、どうせ喪だし、卒業式で誰かに告白されてホニャララということが無いのはとっくに分かっていたし、そんなことくらいではいちいちへこまない。(まあ、●さんと少しは話せたら嬉しいかなくらいは思っていた。●さんはクラスも違ったしそんなことはありえないだろうことは分かっていながら淡い期待を。)
当時、俺はクラスで孤立していたし、友達もいなかった。同じクラスで一番仲良かったのは担任の先生かもしれない。クラス全員で卒業アルバムに載せる記念写真を取ったが、俺だけみんなとは少しはなれたところでぽつーんと立っていた。かろうじて写真には写ったが・・・もちろんその写真は卒アルに載っているから俺の手元にある。今見返すと恥ずかしいし、惨めな気分になる。
その後は、みんなは個人個人で友達同士で話していたり写真を撮っていた。
俺は・・・友達も話す相手もいなかった。普段何とか日常会話くらいは成立するほどの知り合いなら、一応、クラスにもいたが、その人は自分の友達と話していて近づきにくい雰囲気だった。俺は居場所が無かった。みんなの笑い声、バカ騒ぎ、「卒業してもよろしくね」「また会おうね」「打ち上げどうする」と楽しそうだった。
こんな感じだから、誰とも話せずにつっ立っているのも惨めだ。俺は教室とクラスメートの笑い声に背を向けて、急いで、家に帰った。
家に帰る途中で実感した。
「俺は高校の3年間で何を得たのだろう。結局は勉強だけは散々やって、なにも残らなかったじゃないか。友達もいない。一人で終わってしまったのか。」
高校生活の3年間を激しく無駄にしてしまったということに、やっと実感した。がり勉キモメン喪男の3年間は惨めだった。
次の日、東大に落ちた。やはり3年間は無駄だった。