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~藤沢周平著「幻にあらず」より引用~
上記の文は、昨日読んだ小説から引用した。「こんな直前期に読書かよw」って言わないで下さい。読書は俺の唯一の心のオアシスなんです。(いや、深夜アニメもあったか)
どうしてこの言葉を引用したか・・・何と言うか、俺も疲れたんだ。
今までは東大と言う学歴が欲しくて必死になって頑張ってきた。どうしても東大でやりたいことがある、と言うより、ただ学歴が欲しかった。名誉のためではなく虚栄心を満たすために頑張ってきた。俺は「学歴至上主義者」、2ch風に言うと「学歴厨」だった。
昔はこんなくだらない理由でも勉強する気になった。「東大に行けばみんなに認められる」とか「東大に入れば俺も高学歴になれるし他人を見下せる」といったかなーり不純な動機だったが。
転機はやはり浪人したこと。
浪人の生活のあまりの辛さの前に「東大志望の受験生である」という、鼻くそほどの価値もない俺のくだらないプライド(そう呼べるかも疑わしいが)は動揺した。今まではこれにすがってやってきたけれど、これは浪人の辛さを慰めるに足る者ではなかった。一年間の孤独と堕落、焦燥感に立ち向かうにはあまりにも脆かったのかもしれない。そんでもって、疲れた。
(それに、1浪して東大に入ったとしても現役で入ったやつにはかなわないことに気が付いた)
いまや気力はほとんど残っていない。
もしも、2浪が許されているとしても絶対にする気はない。これ以上浪人しても成績はあがる見込みはないし、それどころか、成績がダウンした挙句しょーもない大学にも入れず、廃人ニートになってしまうかもしれない。
それどころか、「2浪すれば確実に東大いける」と言う保証が仮にあったとしてもしたくない。正直言って受験勉強にはもう飽きた。極める前に飽きた。
じゃあ、残されたチャンスはこれだけということになる。ここで力を出せないと一生東大はいけないと思う。
今の俺にも東大に行って何をするかという明確な目標はない。だけど、もう「学歴厨」は脱した。東大に行くのはやはり学歴のためかもしれないが、「学歴」と言う言葉に囚われることはもうない。
じゃあなんで東大を目指すのか。俺が大学に行きたい理由は、学歴だけじゃなくて自分を高めたいということ。大学に入ったとしても驕ることなく謙虚に努力を積み重ねていき自分の視野を広げたい。(ただし、受験勉強だけはもうこりごりw)
(追記)
東大から受験票が届いた。よーするに足切りを突破し2次試験の勝負が出来ると言うことだ。ほっとした。これが最後のチャンスだ。
俺は受験勉強を高1の時かやってきたから、4年間勉強漬けだった。ごく短い期間(去年の東大入試の終了日から受験勉強を再開した日まで)を除き4年間勉強から逃れられなかった。勉強に追われる生活が当たり前だった。
考えたら高校時代に勉強ばかりやっていたのは間違いだったのかもしれない。もう少し、友達と遊んだり(いや、そもそも数自体少なかったし、たいていはうわべだけの付き合いだったか)、恋愛したり(いや、この顔じゃあ無理か)、部活も途中で退部しなければよかったかもしれない(いや、○○の出来ない○○部員だった。こんなピザデブだけど中学・高校とスポーツ系の部活だった)。そうやって充実した生活(実現困難)なら、もっとメリハリが付いた勉強が出来たかもしれない。
もっとも、私立の中高一貫校に通っている人はもっと長い期間受験勉強に取り組んでいるのだろうからあんまり俺の言えた話じゃないけど。
あと一ヶ月耐えれば自由が訪れる。
ここからが正念場だ。残り時間を頑張れば滑り込みでセーフ、と言うこともあるかもしれない。東大が駄目でも、滑り止めに受かれば浪人生活からは抜け出せる。
このくだらない受験勉強も終わる。毎日参考書とにらめっこなんて最悪じゃないか?毎日同じことを覚え、同じことを忘れ、同じことを思い出す繰り返し。別段知的好奇心がそそられる内容でもないし、問題が解けた喜びもそんなに感じない。くだらないといいながら、俺はそんなに出来るほうでもないけど。
早く大学に行って(本当の意味での)勉強をしたい。もっと頭よくなりたい。バカな俺から脱皮したい。
さて、自由への逃走を始めようか・・・
クリスマスは「3大喪男受難の日」の日の一つだと考えている。「3大喪男受難の日」とは、クリスマス(イブも含む)・バレンタインデー・ホワイトデーのことをいう。これらはみな、カップルなどのためにある日であり、喪男にとっては鬱になるだけだ。リア充・イケメンにとっては楽しいイベントなんだろう。
どうせならもてない男のための日も作ればいいのに。確か韓国にはブラックデー(4月14日)がというのがあるらしい。バレンタインデーやホワイトデーに何もなかったやつが集まって楽しむ日らしい。これは日本も見習うべきではないだろうか。いや、どうせなら「世界喪男デー」みたいのがあってほしい。
今年のクリスマスの予定ももちろんない。去年もなかった。その前もなかった。そのまえも・・・(ry。起こるはずのない奇跡は思った通り、やはり起きず、昨日と同じ生活が続くのみ。変わるのはオナニーのオカズだけかもしれない。今年は浪人だから仕方がないという面もあるけれど、やはりむなしいものだ。
来年のクリスマスこそは中止になってくれないかな。もし、俺が総理大臣になったら政治生命を掛けてでもクリスマス廃止法案を作ってみせるwおそらく、こんな法案を支持するのは喪男くらいだろうし、クリスマス商戦に力を入れている企業などの反発は大きいだろう。リア充ももちろん反対だろう。マジで、誰か作ってくれよw
何も予定がないし今日は自宅で喪に服すか。俺の住んでいるところは田舎だしクリスマスだからといって外にカップルが溢れるわけでもないし、安心だ。テレビさえ見なければあの幸せそうな顔をしたリア充&イケメンの姿を見なくてすむ。来年はエロゲーでも買ってクリスマスは徹夜でプレイするか。
ああ、来年もしも大学生になれたとしても今日と変わらない日々をすごすんだろうな。彼女がいないであろうことは言うまでもないが、一緒にやけになって騒ぐ男友達すらいないかもしれない。大学ではコミュ力のない俺はぼっちになりそうだし。いや、そんなことを言うと鬱になるし勉強のやる気も薄れるから今はそのことは忘れよう。
そんじゃあ、2chのコピペを張ります。俺からのプレゼントだ。メリークリスマス('A`)
<以下コピペ>
アンアン
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o_ /)
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12月24日の午後9時から翌25日の午前3時までの6時間は
1年間で最もセックスをする人の多い「性の6時間」です。
貴方の知り合いや友人ももれなくセックスをしています。
普段はあどけない顔して世間話してるあの娘もセックスをしています。
貴方が片想いしているあの綺麗な女性もセックスをしています。
貴方にもし年頃の娘さんや姉・妹がいて、いま家にいないのでしたら間違いなくセックスしてます。
貴方と別れたあの娘も貴方がその娘にやってきたことを別の男にやられています。
貴方の将来の恋人や結婚する相手は、いま違う男のいちもつでヒィヒィ言っています。
すべてを諦めましょう。そして、ともに戦いましょう。
<コピペ・引用終了>
・゚・(つД`)・゚・
***以下、痛い内容に注意***
最近不安に襲われている。浪人生活が終わることに対する不安だ。もちろん、その中には試験に落ちることへの不安もあるが、今回話すのはそれではなく、浪人生活が終わること、換言すれば「受験生」という身分を失うことへの不安だ。念のため言っておくが、「半分ニート」と言えるような、ある意味では気ままな宅浪生活が終わることに対する「かったるさ」ではない。
今から4年前俺は東大受験に挑戦することを決意した。高1の頃だ。そのときの担任に勧められたからである。いや、勧められたと言うより、今から考えると、担任のアジテーションに乗っただけかもしれない。
俺はもともと勉強以外に「比較的」他人より優れた者を持っていなかった。ここで「比較的」といったのは、勉強さえも確実に自分より上の存在がいるからである。かつて、クラスで1番嫌いだった奴に「お前は(学校の)勉強ができるバカだ」と言われたのを今でも覚えている。「ふざけんな」と思ったし反発もした。だが、図星だ。
スポーツをやらせれば常にビリ周辺(所属していた某運動部でも足を引っ張っていた)、コミュ力は当然低く友達も少なく、容姿もアレだ。そんなら必然的に比較優位を持つ勉強に傾倒していく。
まあ、そんな風に中学高校とソコソコ勉強はしていたから成績は学校の中に限ればいいほうだった。はっきり言って、模試の成績が(クラスメイトなどごく限定的な)他人よりいいことによって自分の存在意義を見出していたことも否定できない。さらに、東大を目指すようになってからは、「東大を目指している自分はアタマイイ」と言う虚構としか言えない「他人より優れた存在である自分」をでっち上げて、それにすがっていた。虚栄心だ。思い上がっていたんだ。
そのような「自己」は浪人したとしても十分すがれる存在だった。「東大を目指して浪人している」俺ははっきり言って、内心では現役で東大以外の大学に行った奴も軽く見ていたし、「東大を目指している」時点でそれらの大学に行った奴に勝ったと思っていた。
しかし、あと1ヵ月後のセンター試験とそれからまた1ヶ月後の2次試験を終えれば「受験生である自分」はこの世から姿を消す。もう「東大志望者」としての「自己」にすがって精神を安定させるような精神的なオナニーはできない。丸裸の自分が現れる。たとえ、東大に受かったとしても周りはみな「東大生」で学力においては自分より上、よくて互角だ。落ちたとしたら、もはや何も残らないどころか「浪人」と言うハンディキャップも負う。
これからは、裸の自己でもって世間とぶつかっていくことになる。果たして、そのような生活に耐えられるのであろうか。自分を修飾するものは何もないんだ。ただの「●●(=管理人の本名)」で生きていく。未だ嘗て無い体験だ。はたして、俺は生きていけるのだろうか。
俺は、この先どうなるんだろうか。あと40日でセンター試験だ。センターから約1ヵ月後には二次試験がある。その間にも私立大学の入試がある。つまり、あと2~3ヶ月で俺の運命(大げさかもしれないが)は決まってしまうわけだ。第一志望の大学に合格か、滑り止めで妥協か、はたまた全落ちしてそのまま自宅警備員のエリートコースを進むのか。気が引き締まるというより、目も前に現れた現実という壁に、ただ戸惑っている。これは、越えられない壁なのだろうか。
この時期はネガティブになりがちだ。上に書いたように、心配ばかりしてしまう。いつもネガティブな俺だけにこの時期はひどいものだ。去年もそうだったな。勉強が手が付かないくらいだった。あの時マトモに勉強していればもしかしたら第一志望にギリギリで受かったかもしれない。肝心な所で努力できるかどうかも実力に入るから、このことを言い訳にするつもりはない。落ちたのは完全に自分のせいだと思う。俺がバカだった。
たまには、ポジティブシンキングも良いかもしれない。もうちょっと、受かって何をするか、どんな大学生活を送るかについても考えても良いかもしれない。そうでもしないとモチベーションが下がるだけだ。もっとも、俺は喪男だしコミュ力も低いから、「大学行ってもぼっち」だとか「童貞のまま死亡」、のように嫌なことを考えがちになってしまうが。大学いったらリア充になりたいな。彼女(2次3次どちらでも可)ほしいな。少しは遊びたい。
とりあえず、合格することを頭に思い描いておこう。来年の3月に、合格発表が行われる本郷キャンパスで万歳するのを考えておこう。そんじゃあ、勉強すっか。