受験が終わってからも一年半ほど経ちますが、やはり心境の変化が・・・
まず、「学歴コンプレックス」がかなり小さく、もしくはなくなってきました。入学当初は卑屈な思い(実はこのブログにはおそらく書いていなかったのですが、自分が今の大学に行ったのは自由意志に基づくものではなく、特待生という待遇になったために、無理やりに「家のため」として父親に行かせられたのであり、自分としては別の大学に行きたいと思っていました)でしたが、大学の勉強(残念ながら「学問」というほどには至っていません)に打ち込むうちに「学歴」にあまり関心がなくなってしまいました。(もっとも就職活動をしているときには嫌というほど思い知らされるのかもしれませんがw)
次に、「勉強」に対し一種の「恐れ」を抱くようになりました。現在の自分は勉強に打ち込んでいるとは思うのですが、受験生時代のように全力(怠けて勉強しなかった浪人時代は除きます)で勉強することに一種の恐れを感じてしまいます。というのも、大学受験までの勉強は基本的に「学歴」という形になって、ほぼ確実に「見返り」がありますし、世間的に「受験生」である期間(一般的に高三又は浪人時代をさしますが、高校時代全般ととらえても差し支えありません)であれば、勉強することに「リスク」はありません。しかし、大学での勉強には「見返り」は必ずしもあるわけではありません。例えば資格試験の勉強もその資格を活用できなければ「意味」はありませんし、ましてや大学の「学問」に打ち込んだとしても「世間的」には評価されることは少ないでしょう。それどころか、僕のような「ぼっち気質」「非リア気質」の者の場合、勉強や学問は自らの非社交性を覆い隠す絶好の正当化事由になりかねないからです。要するに、大学での「勉強」は将来の経済的利益を損なう可能性を高めうるものであるといえます。
いいようにもわるいようにもかわりました。
それはさておき、そろそろ受験生の方も滑り止めの一つや二つは確保した頃だと思う。
滑り止めを確保するということは、精神的な影響が大きいもので、プラスにもマイナスにもなりうる。
現役時代は滑り止めを考えず第一志望のことばかりを考えていた(ほかにも一つ受けていたが単なる練習としか考えていなかった。赤本も買っていなかった。)から、精神的には(浪人覚悟といえど)辛く、追い詰められたものだった。
浪人時代は、このブログに書いたように、第一志望の前に二つ受けて二つとも受かった。初めて大学に合格したときは嬉しかった。
確かに滑り止めを確保したことで安心して集中力が落ちたことも否定できないが、滑り止めが無かったとしても鬱な気分になるだけで勉強にいい影響があったとは思えないから、総合的に考えてみるとプラスの影響のほうが大きかったと思う。
とにかく、滑り止めの有無にかかわらず、受験生の方の健闘を祈るのみ。
去年の自分のように無気力にならず、今はただ勉強に専念してほしい(僕が言うのも変かもしれないけど)。大学生活に不安を感じている人がいたとしても、いまは心配していても仕方がないし、大抵は杞憂に終わるから、目の前の物に力をぶつけてくれ。
そうか、明日はセンター試験なのか・・・
大学に入ってから受験生だったころのことを思い出し、辛かったこともあるといえど、いつの間にか「いい思い出」になっていることに気が付くと、あれから随分経ったんだなと思わされる。
一年前の今頃、なかなか勉強の成果を上げることができなかった浪人生活の「後悔」と、受験生という窮屈な身分から解放される直前という「期待」の両者が混在した、複雑ではなくとも矛盾を抱えた不安定な心であったと思い返される。
このブログは「ああしろこうしろ」とアドバイスするようなものではないし、気楽な気持ちでこんな馬鹿がいたのかと思ってもらえれば嬉しいくらいの思いでやっているものだから、受験生でこの文を読んでいる人は、少しでもリラックスしてもらえればそれでいいと思う。とりあえず落ち着いて、受験票を忘れたりしないこと、早く寝ること、明日明後日は力を出し切ることを考えればいいんじゃないかな。
さて、受験時代のことを思い出しながら温かい紅茶でも飲もうか。
「何か書く」と言ってしまったが、俺にはもう何もいえることはない。受験に関して伝えたいことはほとんど伝えてきた。今更受験生に向かって無責任に頑張れ頑張れというのもどうかと思う・・・
だけどやはり、今でも、浪人したにもかかわらず受験に失敗したことは悔しいとおもっている。今いくら勉強しようと思っても、環境的に、受験生だったころに比べて恵まれているとはいえない。なんだかんだいって「学歴コンプレックス」は根強い。受験のころ、純粋に「夢(野望・欲望)」を追っていたころにたいして、物悲しい懐かしさのようなものも感じる。
愚痴るのはよそう。
受験生の方に一つだけ言いたいことがある。それはあまり悲観的になるなということ。俺が浪人だったころ、この時期になると「今まで何をしていたんだ・・・全然勉強すすまないじゃん」「仮に大学に入ったとしても悲惨な生活なのだろうか」とか余計なことばかり考えていた。ネガティブになっていた。こんなことは考えても仕方がないからやめたほうがいい。前者の悩みについては、今から勉強すればいいだけ。後者についての悩みは今考えても仕方がないし、入学シーズンになったら俺だって「非リア」系の人が大学でやっていけるためのアドバイス(参考になるかは分からないが)をするから心配ない。
このブログを見た人は、俺を反面教師にして、一人でも多く志望校に合格してほしい。
そういえば今年のセンター試験って何日だっけ?去年とあまり変わらないかな?となると俺の大学の期末試験のころと同じくらいか。もしも「仮面浪人」だとかをしていたら大変だっただろうな・・・センター前日までテスト漬けでフランス語やドイツ語の試験の次に英語があったり、パソコンでレポートを書き上げたと思ったら古文や漢文を読まされたり・・・混乱しそうだ。あまり優秀でない俺にとって、大学での(特待生に求められる)成績を維持しつつ、志望校合格など到底できないだろう。
久しぶりにこのブログを更新する。3ヶ月ぶりだ。3ヶ月前、浪人生活が終了し、東京大学に不合格となり、まあまあ落ち着いてきた所で、さあ受験生(特に宅浪生)の反面教師の端くれとして少しは恩返し(いろいろと応援してもらったから)するぞと思い、色々と記事を書いていたが、たまたまコメント欄でトラブルが起こってしまい(本当に酷い話だ)、ゲンナリとして、「書くこと」への意欲を失ってしまった。そのあとは大学生活についてのブログの方に本拠地を移したようなものだった。
こっちのブログのアクセス数は、いちばん多いときで1日あたり2000くらいだった日もあったが、今ではもう、すっかりと細々としたブログになってしまった。
もう誰も読まないのだろう、思っていたが、大学生活のブログに「ブログ全部読みました」という受験生の方からコメントが来た。率直に言えば、嬉しかった。まだこのブログを必要としてくれる人がいるとは・・・
俺は、受験に関するアドバイスは出来るような身分ではない。第一志望に落ちているし、浪人生活自体ほとんど勉強していない怠けたものだったし、効率のいい勉強法はなに一つとして知らない。
そのばあい、いえることはただ一つ「喪男浪人中を読んでくれ。そして反面教師にしてくれ」だ。
だが、このブログには「読み方」がある。
(その1)「喪男浪人中」は客観的なブログではない。
記事を読めば分かるけど、内容の大半は、俺の愚痴・弱音・叫びなどである。勉強について書いたこともあるがかなり主観的な面があるのも否定できない。浪人生活終了後の記事もできるだけ分かりやすく客観的にするように努力はしたものの、主観的側面はまだまだある。さらにいえば「個人的」な内容の記事で事情を知らない人から反感を抱きかねない表現もある。
受験勉強中ノートを片手に鼻くそをほじりながら、それをボールくらいの大きさにまとめたものが俺のブログだ。
主観的で個人的な表現を鵜呑みにはしないで下さい。(俺の落ち度なのにスイマセン)
(その2)「喪男浪人中」は成功例を説明するブログでない
俺の受験は「失敗」である。何故か?「第一志望に落ちたから」という理由は半分正解。もう半分は「かけた時間の割に合う結果を得られなかったから」という理由だ。後者のほうがむしろ強い。
結果だけをみて、「まあまあの成果だな」と思ってはいけない。「かけた時間」を考慮すれば「大失敗」だ。
だが、反面教師としてはソコソコ役に立つのではないかと思う。浪人したらどれだけ精神的にダメージを受けるかリアルに分かるし、怠けている様子もよくわかる。浪人生には「またやる気を出そう」と現役生には「現役で合格してみせる」と思って欲しい。
(結局、この記事も主観的だ)
あ~あ、6月って浪人時代、とても辛かったな・・・浪人生活3ヶ月目という節目なのにたいして勉強もしていなかったし、親の目線は痛いし、大学に行った友達は楽しそうだし・・・でもここで頑張るべきだったな。頑張れれば夏休み(宅浪にとっては「毎日が夏休み」だが)頃から本番までラストスパートもかけられたかもな。ああ、もっと勉強しておけば今頃別の大学にいっていたかもな。
蒸し暑い季節で大変かもしれないけど、受験生の方はしっかりと体力をつけて頑張ってください!
