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喪男浪人中とは:受験に失敗した喪男の浪人ブログ。東京大学文科一類を目指す。(東大落ちました。現在は失敗の原因について書いています。)
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 受験生の頃にこのブログを始めてもう2年半以上経ちます。頻繁に更新していた浪人時代ほどではないものの、それなりのアクセス数があって驚いています。(一方、大学生活のブログのアクセス数は全然です。ぜひ、こちらもよろしくお願いしますw)

 受験が終わってからも一年半ほど経ちますが、やはり心境の変化が・・・

 まず、「学歴コンプレックス」がかなり小さく、もしくはなくなってきました。入学当初は卑屈な思い(実はこのブログにはおそらく書いていなかったのですが、自分が今の大学に行ったのは自由意志に基づくものではなく、特待生という待遇になったために、無理やりに「家のため」として父親に行かせられたのであり、自分としては別の大学に行きたいと思っていました)でしたが、大学の勉強(残念ながら「学問」というほどには至っていません)に打ち込むうちに「学歴」にあまり関心がなくなってしまいました。(もっとも就職活動をしているときには嫌というほど思い知らされるのかもしれませんがw)

 次に、「勉強」に対し一種の「恐れ」を抱くようになりました。現在の自分は勉強に打ち込んでいるとは思うのですが、受験生時代のように全力(怠けて勉強しなかった浪人時代は除きます)で勉強することに一種の恐れを感じてしまいます。というのも、大学受験までの勉強は基本的に「学歴」という形になって、ほぼ確実に「見返り」がありますし、世間的に「受験生」である期間(一般的に高三又は浪人時代をさしますが、高校時代全般ととらえても差し支えありません)であれば、勉強することに「リスク」はありません。しかし、大学での勉強には「見返り」は必ずしもあるわけではありません。例えば資格試験の勉強もその資格を活用できなければ「意味」はありませんし、ましてや大学の「学問」に打ち込んだとしても「世間的」には評価されることは少ないでしょう。それどころか、僕のような「ぼっち気質」「非リア気質」の者の場合、勉強や学問は自らの非社交性を覆い隠す絶好の正当化事由になりかねないからです。要するに、大学での「勉強」は将来の経済的利益を損なう可能性を高めうるものであるといえます。

 いいようにもわるいようにもかわりました。

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男性
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一年の浪人生活経験後いまは大学生(予定)
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読書
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一浪の果て再度挑戦した東大受験にまた失敗。今は失敗談を語ります。
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