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久しぶりに受験の失敗談について書く。今回は「内職」について書いてみようかと思う。この場合の「内職」とは金銭を得る目的でする仕事のことではなく、学校などの授業中に授業内容とは違った内容の勉強をすることである。
さてさて、内職はどのように思われているのだろうか。
俺のでた2流自称進学校でも(当たり前だが)教師は基本的に内職については否定的(ただし黙認もあった)だった。「失礼だ」ということだけではなく、「教師の目を盗んでする内職では力がつかないから意味が無い。それよりも授業を聞け。そのほうがためになる」という意見もあった。
一方、勉強法のサイトや本では意外と内職に肯定的な意見もあったと思う。具体的なソースを上げるのは手間がかかるからやりたくはないが、「受験科目以外の教科やためにならない授業は聞くだけ無駄」という意見から「退屈な授業時間は寝て過ごし体力を温存せよ(内職とはちょっと違うが)」という意見までもあった。
「寝て過ごせ」という意見はともかく、要するにに問題は「内職と授業のどちらが受験勉強の力がつくだろうか」ということではないだろうか。
ただ、俺のごく少ない受験勉強の経験から考えたことだから、結論らしい結論は出ていないし、普遍的な内容と必ずしもいえるわけでない。俺の体験の範囲内で語ろうと思う。
俺が内職を始めたのは、確か、高校2年のときだった。当時の英語の授業があまりにもつまらなく退屈だった。進度も遅かった。学校ではソコソコいい成績だったから授業をかなり舐めていたことがあったことは否めない。周囲の人間も徐々に内職を始めていた。おそらく焦りがあったのだろう。
英語(リーダー)の時間にやった内職の内容は以下の通りだった。
1、授業内容を無視して予習(和訳)を最後の課まで進めていく
2、授業中に単語帳で単語を暗記(1の予習がひと段落着いた時期からはじめた)
1の場合、授業とその予習を「勉強」と考えるより、何か「負担」のように考える考えが背景にあった。「学校から課されるもので、時間を奪うもの」のように考えた。
2については説明する必要はないだろう。
これらは効果があったのだろうか。
1の場合はとりあえず和訳という作業を受験勉強にかける時間を削らずに終わらせられたのだから、目的は達成できた。問題は2だ。授業を無視してまでしてやる意味はあったのか。
周りが授業を受けているときにする内職はやはり度胸がいる。教師は内職を嫌うのは当たり前だし、その中で単語をシコシコ暗記するのはやはり後ろめたい所もある。
そんな気分でやる勉強は本当に力になったのだろうか。
毎週英語の時間は3~4時間あったからそれだけの時間を単語に割ければものすごい語彙力が着くはずだったがそうはいかなかった。ぶっちゃけて言えば、大して力になっていない。
じゃあ、どうすればよかったんだよ。内職も駄目、授業も駄目じゃ俺涙目じゃないの・・・
(未完)
(スイマセン。意気込んで書こうとしたけれど、失敗してしまいました。そのうち気が向いたら&アイディアが思い浮かんだら続きを書きます)

単語帳を選んだのは悪くないと思いますが。(授業との切り替え=中断・再開がしやすいという意味で)他にもっといい内職も思い当たらないし、授業だってそこそこ参加していたなら非常に惜しい事を聞き逃したようにも思えません。
語彙力もやらないよりは絶対上がったはずです。あるいは期待したほど上がってないとすれば実はけっこうきちんと授業を聞いていたのかもしれませんよ。
そうですね。普通の公立高校と中高一貫の学校では覆しがたいハンデがあります。自分自身もそのために出来るだけ早く、高一から勉強してきたのですが難しかったです。2流自称進学校の公立高校出身者だからといって必ずしも現役で東大にいけないわけじゃありませんが、大きな差が・・・
305さん
内職で劇的に成績を上げた人は自分の周りではあまりいませんでした。単語帳の内職でどこまで語彙力がついたかは正確には分かりませんがそんなに効果はなかったような気がしています。授業にも一応は着いていくようにしていたので。逆にその思い切りの悪さが悪かったのかも・・・
