喪男浪人中とは:受験に失敗した喪男の浪人ブログ。東京大学文科一類を目指す。(東大落ちました。現在は失敗の原因について書いています。)
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先月の23日に受けた東進模試の結果が返ってきた。いや、「返ってきた」じゃない、「取りにいった」だ。予備校まで取りにいった。自転車で約30分(´・ω・`)
結果を受け取った後、塾長と面談。今更面談してもあんまり意味がないと思う。私立大学のセンター利用入試についてのアドバイスは参考になった。明治大学をセンター利用で受けようと思っていたが、科目数(3~5科目で選択可能)で迷っていた。4科目で受けるのが一番有利みたいだ。
模試の解説授業を受けた。DVDでの講義だ。全部の科目が受けられるが時間がないから、生物と現代文を受けた。数学を受けたかったが、DVDが無いとのたまう。残念。速さを1.5倍にできるのが効率的でいいと思った。予備校の講師の授業ははじめてだ。俺は生まれてから現在まで塾や予備校に通ったことはなかったから、学校の先生以外の授業はほとんど受けてない。だからなのか、予備校講師=神レベルの授業、と思っていたがそれは俺の勘違いだった。(決して下手じゃないが)
変な話だが、実はまだ模試の代金を払ってなかった。申し込みの時は試験日に払うように言われたが、当日何も言われず、今日も何も言われなかった。このまま何も言わなければ、バレなかっただろう。まあ、知っているにもかかわらず、黙っているのもセコい。受付の人に事情を話し、払った。
結果を受け取った後、塾長と面談。今更面談してもあんまり意味がないと思う。私立大学のセンター利用入試についてのアドバイスは参考になった。明治大学をセンター利用で受けようと思っていたが、科目数(3~5科目で選択可能)で迷っていた。4科目で受けるのが一番有利みたいだ。
模試の解説授業を受けた。DVDでの講義だ。全部の科目が受けられるが時間がないから、生物と現代文を受けた。数学を受けたかったが、DVDが無いとのたまう。残念。速さを1.5倍にできるのが効率的でいいと思った。予備校の講師の授業ははじめてだ。俺は生まれてから現在まで塾や予備校に通ったことはなかったから、学校の先生以外の授業はほとんど受けてない。だからなのか、予備校講師=神レベルの授業、と思っていたがそれは俺の勘違いだった。(決して下手じゃないが)
変な話だが、実はまだ模試の代金を払ってなかった。申し込みの時は試験日に払うように言われたが、当日何も言われず、今日も何も言われなかった。このまま何も言わなければ、バレなかっただろう。まあ、知っているにもかかわらず、黙っているのもセコい。受付の人に事情を話し、払った。
誰からも年賀状が来なかった。ついでに言うと、あけおめメールも1通も無い。俺って本当に友達がいないんだな・・・
今日から平成22年がスタートする。今年はセンター試験を始め、私大入試・2次試験と試験が盛りだくさんだ。今までの勉強の成果が試される。2次試験までの2ヶ月間を如何に過ごすかによって、これからの俺の人生が決まる。気を引き締めなければ。
昨日と今日は1秒たりとも勉強していない。センター試験直前に何やっているんだ、と言われそうだが、あえて休むことによって心機一転し、ラストスパートをかけられるように充電することにした。
それと、親戚の家に新年の挨拶をしに行った。もう19歳だからお年玉をもらえることは無いだろうと思っていたが、なんとビックリなことに、もらえた。大切に取っておこう。受験が終わったときに使いたい。本を買いたい。
センター試験まで残り2週間となった。1日1日を大切にしていこう。今はセンター対策に専念。世界史のセンター対策もそろそろ始める。センター試験で9割確保できるように全力を尽くすつもりである。決戦の時は近い。
大晦日。今年も今日でもう終わりだ。ついに、ついにこの2009年が終わる。今年の最後のまとめとして反省会を始める。ちょっと長いよ。携帯から見ている人にとっては見にくいかもしれない。ごめんなさい。
それでは、反省会開始。
《1~3月》
これは現役のときの話だ。直前期ということで勉強しなければいけないところだったが、やる気が出せずずるずるとした日々を過ごしてしまい、結局不合格。早稲田大学政治経済学部と東京大学文科一類を受けたが全然歯が立たなかった。確実に受かるような所を滑り止めに受けてなかったから浪人決定。
このブログの前身となったブログ「崖っぷちのブサ男」を2月という直前期に開設した。こっちのブログを見たことがある人がいるかな?いたらコメントしてくれ。
《3月10日》
この日は東大の合格発表があった日。本郷キャンパスまで結果を見に行った。受験番号が張り出されているボードを探す。文化一類はなかなか見つからなかった。何とか文一の受験番号が張られている掲示板を見つけた。自分の受験番号を探す。俺の番号が無いことはすぐに分かった。俺の周りの番号の人も何人か落ちていた。
実は不合格だと分かったときはそんなに落ち込まなかった。もともと浪人は覚悟していたし、あと1年頑張れば何とかなると思っていた。浪人生活の辛さが理解できなかっただけじゃなく、浪人生活を何か、「自由で解放的な楽しいもの」と考えていた。これからの生活に希望を感じていた。俺が落ちたことに一番落胆していたのは俺の母だった。
《3月12日(この日の記事はこちら)》
このブログ、「喪男浪人中」を開設した日。大学に落ち浪人が決定してから2日。浪人する前には分からなかった浪人生活の辛さが身にしみる。たった2日!こんなに短い期間でも辛いなんて。浪人生活が「自由で開放的な楽しいもの」だと思っていた俺の考えの甘さが分かった。現役のときは、「バイトしながら浪人して、受験にかかる費用を自分で負担し、余ったお金は遊びに思いっきり使おう」と考えていた。現実はそんなにうまくいかないことはこのあと嫌なくらい思い知らされる。
じゃあ、「浪人の辛さ」と散々言ってきたが何故辛いのか?これから書いていく。
《3月16日(この日の記事はこちら)》
この日から受験勉強を再開した。
《4月》
3月までは一応名目上高校生扱いだ。4月から名実ともに浪人生活が始まった。アルバイトを探すものの田舎だからなかなか働ける場所は無かったし、面接までこぎつけた者の撃沈。現役のときに考えていた浪人生活の理想からかけ離れていく。4月からバイトを始めることも出来なかった。結局バイトしながら浪人することは諦めた。
同級生はこの月に大学に入学したんだな。みんなは大学に入って新しい生活を始めているのに、俺だけ浪人。この差に苦しむ。新しい生活を始める同級生に比べて依然受験勉強をクリアできずにいるという劣等感。これが浪人の苦しみかもしれない。
《五月》
5月病という言葉もあるがどんどん堕落していく。勉強のやる気は全然でないし、何より孤独感が辛い。もともと高校時代から友達は少なかったし、卒業後も連絡を取っている人はほとんどいない。両親以外全く会話しない日が当たり前のように続く。しかし、ぼちぼちと浪人仲間や高校時代の友達から連絡が来る。それでも孤独なことには代わりが無い。浪人してからはじめての模試があった。駿台模試だ。
《6月》
浪人してから3ヶ月。宅浪の孤独には慣れてきたがまだまだ辛い。6月に関して覚えていることはほとんど無い。どうでもいいことだが俺の誕生日は6月28日だ。ほんとにどうでもいいな。
4~6月は精神的に最も病んでいる時期だった。勉強のやる気も無かったし毎日自殺のことばかり考えていた。自分に自殺するだけの勇気が無くてよかった。
《7月》
特筆すべき事は無し。ブログの更新も4回と少ない。
《8月》
浪人仲間とオープンキャンパスに行ったり東大模試を受けたりとソコソコ忙しい。勉強量は回復してきた。オープンキャンパスに行ったS君に俺が高校のとき好きだった子がいる予備校を教えてもらったのはこの月だ。7月と同じようにブログの更新回数が少なかった。実は少し飽きていた。
《9月》
9月からはZ会を始めた。英語・世界史・日本史の3科目。料金は親に負担してもらった。本当ならバイトして稼いだお金でやろうと思っていたのに、払ってもらうことになってしまった。情けない。9月も更新数が少ない。ネタもなくなってきた。趣味の話になるが一ヶ月の読書量が一番多かったのは9月だ。20冊読んだ。冊数を稼ぐために一部はわざと簡単そうな本を選んだ。
《10月》
やっと、受験生としての自覚が持てるようになった。遅い。勉強量も安定していた。高校のときの友達で今は大学生のO君と再会。大学に行ってそれなりに毎日充実していると聞いて早く大学に行きたくなった。いい気晴らしにもなった。高校のとき一目ぼれした●さんと模試で再会。休み時間に話せたことが嬉しかった。浪人して初めて話す女の子だ。それ以来、●さんと話すことは無かったが。ブログの更新数が増えてきた。また、やる気が出てきた。
《11月》
2回目の東大模試。8月に比べては成長したのだろうけれど、成績は大して伸びてない。いちばん勉強したのはこの月かもしれない。私立大学対策をはじめたのもこの月だ。センター対策も徐々に本格化していった。ただし、生活パターンが完全に夜型になってしまった。後半からは少しづつ改善していった。
《12月》
センター対策が勉強の大半を占める。1にセンター2にセンター3、4無くて、5にセンターだ。最近のことだから書きにくい。このくらいにしておく。詳しくは今月の記事を読めば分かる。
2009年の反省はこれで終わり。これが今年で最後の更新になる。今日は紅白でも見ながらマターリ過ごす予定。それじゃあ皆さんよいお年をm9('A`)
それでは、反省会開始。
《1~3月》
これは現役のときの話だ。直前期ということで勉強しなければいけないところだったが、やる気が出せずずるずるとした日々を過ごしてしまい、結局不合格。早稲田大学政治経済学部と東京大学文科一類を受けたが全然歯が立たなかった。確実に受かるような所を滑り止めに受けてなかったから浪人決定。
このブログの前身となったブログ「崖っぷちのブサ男」を2月という直前期に開設した。こっちのブログを見たことがある人がいるかな?いたらコメントしてくれ。
《3月10日》
この日は東大の合格発表があった日。本郷キャンパスまで結果を見に行った。受験番号が張り出されているボードを探す。文化一類はなかなか見つからなかった。何とか文一の受験番号が張られている掲示板を見つけた。自分の受験番号を探す。俺の番号が無いことはすぐに分かった。俺の周りの番号の人も何人か落ちていた。
実は不合格だと分かったときはそんなに落ち込まなかった。もともと浪人は覚悟していたし、あと1年頑張れば何とかなると思っていた。浪人生活の辛さが理解できなかっただけじゃなく、浪人生活を何か、「自由で解放的な楽しいもの」と考えていた。これからの生活に希望を感じていた。俺が落ちたことに一番落胆していたのは俺の母だった。
《3月12日(この日の記事はこちら)》
このブログ、「喪男浪人中」を開設した日。大学に落ち浪人が決定してから2日。浪人する前には分からなかった浪人生活の辛さが身にしみる。たった2日!こんなに短い期間でも辛いなんて。浪人生活が「自由で開放的な楽しいもの」だと思っていた俺の考えの甘さが分かった。現役のときは、「バイトしながら浪人して、受験にかかる費用を自分で負担し、余ったお金は遊びに思いっきり使おう」と考えていた。現実はそんなにうまくいかないことはこのあと嫌なくらい思い知らされる。
じゃあ、「浪人の辛さ」と散々言ってきたが何故辛いのか?これから書いていく。
《3月16日(この日の記事はこちら)》
この日から受験勉強を再開した。
《4月》
3月までは一応名目上高校生扱いだ。4月から名実ともに浪人生活が始まった。アルバイトを探すものの田舎だからなかなか働ける場所は無かったし、面接までこぎつけた者の撃沈。現役のときに考えていた浪人生活の理想からかけ離れていく。4月からバイトを始めることも出来なかった。結局バイトしながら浪人することは諦めた。
同級生はこの月に大学に入学したんだな。みんなは大学に入って新しい生活を始めているのに、俺だけ浪人。この差に苦しむ。新しい生活を始める同級生に比べて依然受験勉強をクリアできずにいるという劣等感。これが浪人の苦しみかもしれない。
《五月》
5月病という言葉もあるがどんどん堕落していく。勉強のやる気は全然でないし、何より孤独感が辛い。もともと高校時代から友達は少なかったし、卒業後も連絡を取っている人はほとんどいない。両親以外全く会話しない日が当たり前のように続く。しかし、ぼちぼちと浪人仲間や高校時代の友達から連絡が来る。それでも孤独なことには代わりが無い。浪人してからはじめての模試があった。駿台模試だ。
《6月》
浪人してから3ヶ月。宅浪の孤独には慣れてきたがまだまだ辛い。6月に関して覚えていることはほとんど無い。どうでもいいことだが俺の誕生日は6月28日だ。ほんとにどうでもいいな。
4~6月は精神的に最も病んでいる時期だった。勉強のやる気も無かったし毎日自殺のことばかり考えていた。自分に自殺するだけの勇気が無くてよかった。
《7月》
特筆すべき事は無し。ブログの更新も4回と少ない。
《8月》
浪人仲間とオープンキャンパスに行ったり東大模試を受けたりとソコソコ忙しい。勉強量は回復してきた。オープンキャンパスに行ったS君に俺が高校のとき好きだった子がいる予備校を教えてもらったのはこの月だ。7月と同じようにブログの更新回数が少なかった。実は少し飽きていた。
《9月》
9月からはZ会を始めた。英語・世界史・日本史の3科目。料金は親に負担してもらった。本当ならバイトして稼いだお金でやろうと思っていたのに、払ってもらうことになってしまった。情けない。9月も更新数が少ない。ネタもなくなってきた。趣味の話になるが一ヶ月の読書量が一番多かったのは9月だ。20冊読んだ。冊数を稼ぐために一部はわざと簡単そうな本を選んだ。
《10月》
やっと、受験生としての自覚が持てるようになった。遅い。勉強量も安定していた。高校のときの友達で今は大学生のO君と再会。大学に行ってそれなりに毎日充実していると聞いて早く大学に行きたくなった。いい気晴らしにもなった。高校のとき一目ぼれした●さんと模試で再会。休み時間に話せたことが嬉しかった。浪人して初めて話す女の子だ。それ以来、●さんと話すことは無かったが。ブログの更新数が増えてきた。また、やる気が出てきた。
《11月》
2回目の東大模試。8月に比べては成長したのだろうけれど、成績は大して伸びてない。いちばん勉強したのはこの月かもしれない。私立大学対策をはじめたのもこの月だ。センター対策も徐々に本格化していった。ただし、生活パターンが完全に夜型になってしまった。後半からは少しづつ改善していった。
《12月》
センター対策が勉強の大半を占める。1にセンター2にセンター3、4無くて、5にセンターだ。最近のことだから書きにくい。このくらいにしておく。詳しくは今月の記事を読めば分かる。
2009年の反省はこれで終わり。これが今年で最後の更新になる。今日は紅白でも見ながらマターリ過ごす予定。それじゃあ皆さんよいお年をm9('A`)